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BERATREK

artists infoテクノジャパン(T・J)

テクノジャパン(T・J)

テクノジャパン1

member

  • Vox:アサカ ヨージ
  • synth:本橋ヤスユキ
  • Gtr:石塚ノリヒロ
  • Rap/Par:ガミ岸本
  • Bass:三好出
  • マニュピレート/key:市川シンゴ

バンド名はテクノジャパンだが、RAPをメインとしたファンクバンド。メンバー人数が多く、ラッパー2名がサッカーボールをステージから蹴る等するやんちゃな演奏スタイルだった。渋谷ライブINN、渋谷EGG MANでDer Zibetと共演、夕焼けニャンニャン出演、新宿JAMでエレファントカシマシと共演、ホコ店でのライブ等、パーティバンド感の強い活動だった。リリース作品は無い。

 

アサカ ヨージ

86年、私(アサカ ヨージ)はアカイのサンプラー
S−900が発売になったのをきっかけに
「これを使ってライブができる」と確信し
「だれか演奏してくれる人いません?」と
いう相談を本橋氏にしたところ
「ヨージさんがフロントでやってくれるなら、キーボードやります」
との返事をいただいたので、じゃあ、ギターには「石塚君お願いします」
といってお誘いしました。われわれ3人に続き
すぐに以下のメンバーがあつまりました。
ガミ岸本(ラップ、パーカッション)
三好出(ベース)
そして最後に石塚氏が渋谷のヤマハより
市川シンゴ(マニュピレート、キーボード)
を招きメンバーを完成させました。
サウンドについてはエレクトロファンクのようなことを
めざしていましたが、ライブにむけてリハーサルを続けていくうちに
ラップにバンドをつけるスタイルになっていきました。
そして、
渋谷ラママにて本橋氏の十六夜企画による
2DAYSが最初のライブとなりました。
その後の活動は、渋谷ライブINNでのライブ活動。
夕焼けニャンニャン「すばらしき音楽仲間たち」
1位獲得などがありました。

 

T・J House

石塚氏との付き合いでもっとも重要なのは、私の祖父が他界後
空き家になっていた家に彼が住み(お家賃もいただき)
そこに友人たちが多く集まり過ごした日々です。
野方と中野の中間にあったこの古屋を訪れた
音楽仲間はたくさんいました。
誰が来ても迎え入れることを嫌がらない彼の人柄が
人を集めていたのでしょう。

 

synth担当 本橋

テクノジャパンの補足致します。ヨージさんは昔はローションズというバンドの人で、中学生だった私がローションズを見に何度も新宿JAMに通い、彼との出会いは私の音楽人生の礎となりました。私が19歳頃でしょうか、ヨージさんがファンクバンドをやるというので私とベラが参加して活動を始めました。

あの頃、年上の友人と多数知り合った時期で、今スピッツでキーボードを弾いている久慈洋子さん、グラスバレーの方々とも知り合いました。T・J Houseで皆で良く騒いでおりました。
久慈さんの友人バンドLIPSのツテだったと思いますが、夕やけニャンニャンにテクノジャパンが出演します。バンドが演奏中、バンドメンバーの関係者が水を張ったボールに顔を付けて息を止めてられる間演奏できるというバカバカしいコーナーでした。余談ですがウチのスタッフが息を止める係をやったんですが、最高記録を出してました。

シックスティレコードの方と知り合い、その方のイベントが渋谷EGG MANでオールナイトで開催され、前座出演ました。メインアクトがDer ZibetでISSAYさんに優しくしてもらったのを覚えております。

この頃、ベラはTel Voi(後のMODE-ID)に参加し始めていて、メジャーデビューが決まる事からテクノジャパンを離れます。

ここに掲載されてる写真ですが、トップ、及びベラ単品の写真はもしかしたら夕やけニャンニャンでお世話になった某大物放送作家さんのパーティでのライブかな。このトップ写真はメンバー全員が奇跡的に写ってます。他の2枚はヨージさんの話しに出てくる2Daysイベントのフライヤーとフライヤー撮影のオフショット。ベラは撮影に欠席し写真にはいませんが、今はときめく方々や懐かしい友人達が写っております。井の頭公園で撮りました。